平行線の先に
右乳房全摘、リンパ節18個切除。Drは「見えるリンパ節は全部取りました。14個にガン細胞がありました。」との事。
術後1週間で退院し自宅に戻った。
胸に一文字の傷。胸、背中、肩、腕まで痺れて感覚が無い。腕が上がらないだけで特に心配なことはなかった。
足のリンパ節に転移があるので抗ガン剤治療が始まる。3週間ごとに4回、薬を変えて6回の計10回、7ヶ月間の計画だ。
抗ガン剤治療に関することは、病院で聞くこととネット検索で出てくることでは、治療薬だったり毒と言われたりで両極端だ。
そんな不安を友に話してしばらく経った時、彼女から「ガンの患者会」の資料が届いた。
「生存率が90%」の患者会がある。玄米菜食にこだわり、これまでの行き方を変えることで、たとえステージ4であってもガンをもったままでも生きられる。
その会の勧める本を読み、会報も取り寄せ調べ始めると、治し方は病院だけではないこと、心の持ちようでガンと共存できることを知り、ガンに対する考え方が変わってきた。
さっそく主人に伝えた。
抗ガン剤が不安で不安で仕方ないこと、この患者会が勧める方法だと9割の人が生き残れること、抗ガン剤を止めてこのやり方で治したいと…。
「お前はバカか⁈ 治療もせずに治るなんてうまい話があるはずない!誰がこんなもの教えたんや!」
と見せた会報を叩きつけ、物凄い勢いで怒鳴られた。
私は自分の命がかかっているから譲る訳にはいかない。
主人も私の命がかかっているからと、聞く耳を持たない。
この後、抗ガン剤治療を続けながら、玄米菜食も続け、毎日、毎日平行線のミーティングも続いた。
私の治療法の話し合いをしているはずなのに、昔のすったもんだの話も出てくる。子育てや学校行事に参加してくれなかった話、いつも不機嫌だった話、自分の趣味優先で寂しかった話。
良いこともたくさんあったのに、私だけが我慢していると思い込んでいて心が晴れることがなかった。
私が勝手に溜め込んだイライラがガンを作り、心の思い癖でガンを大きくしてしまった。
今思うに、主人と治療法に対する意見が合わなかったことが、幸いだった。反対があったからこそ、自分で選んだ養生をやり抜く覚悟と明るく生き抜く覚悟ができた。
ガンの治療法は、いくつもの中から自分に合ったものを選ぶことができる。自分が選んだ治療法を信頼し、自分の力で治していく覚悟をすればよい。
支えてくれる主人と家族、元気をくれる友に感謝している。
大丈夫。ガンを持っていても生きられる。